5.23 わたしとさやま
「さやま」は、私にとって遠い話だった。
遠くで、ムラの子ども達や私たちを励ましてくれる源のような事柄だった。
「昔はゼッケン登校があってなぁ・・・」と、先輩から聞かされていたけれど、詳しいことはわからないまま、解放運動、解放教育の豊かな世界に引き込まれていた。
部落問題学習は、子どもだけでなく大人も、賢く豊かにしてくれることを、私は感じていた。
2011年、埼玉に転居し、慣れない言葉慣れないしきたり、空回りする自分自身に悪戦苦闘しながら、
組合の情宣の「現地調査」の文言に、
「ここは、狭山事件のあった県だった!!」と心がざわめきながらもアクセスできず、
翌年病を重くして退職。
全く違う仕事を2年ほど楽しみ、復帰。
復帰までの、ぽこんと空いた2ヶ月間に、やっと「さやま」にたどり着いた。
たどり着けたのは、早智子さんのホームページとFacebookと雑誌の「ヒューマンライツ」があったから。
「さやま」につながれたよ!!と、大阪の友達に伝えると、
「なつかしー!!昔、ゼッケン登校したで」
「がんばって!!」と、応えてもらえる。
組合でもなく、個人でつながっている。
今できていることは、年賀状に「狭山もがんばります!!」と書くくらいで、何をどうがんばるねんという自分つっこみは続くが、
石川さんに心を寄せながら、教え子たちを思い浮かべながら、
私は、自分の仕事の中で、解放教育を実践していかなければならないと思っている。
読み聞かせる「ひらがなにっき」は、
一子さんや識字学級の魅力に、必ずどはまりする子どもが毎年いる。
「一子さん、すごい!!」と、目を輝かせる。
これが、解放運動の豊かさなんだと、私は思っている。